地域医療日誌

変化しつづける地域でともに悩み、考える医療

癒し手としての医者

 
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 本当に恥ずかしい話なのですが、(というか、たまにこういうことを経験するのですが、)原著を買って手にしたものの、いつか読むだろうと「積んどく」した本。

 数年たって、今度は日本語訳が出版されてしまいました。

 ということで、迷った挙句に翻訳本も購入。またも、手にする時間がなく「積んどく」し、かれこれ5年は経過したのではないだろうか、という本を、いよいよめくる日がきました。

 その時ばかりは、まさしく、本が「呼んで」いるという状況。そして、その本に衝撃を受けることになりました。

 

 奇跡的にも、ある条件が一直線に揃うと、このような現象がおこるのでしょう。もっと早く読んでいたら・・・と後悔もしますが、きっと今のような気持ちにはならなかったに違いありません。

 それも読んだのは、最後のたった2章の拾い読みです。

 

医者は今でも癒し手か?

 この本から一部を抜粋引用します。関心のあるみなさんは、ぜひ原著なり、翻訳版なりをご一読ください。(下線はぼく)

Bernard Lownは嘆いていました。若い医者たちの考え方が変わってしまったからです。考える代わりに、テクノロジーを使った検査をオーダーしてしまうのです。今日、巨大な組織が市場経済に踊らされ、利益を追求し、医者と患者さんの外来診療に影響を与えるようになりました。かつてのプロフェッショナリズムの契約は社会的変化のプレッシャーの下で変化しています。医者はもうかつての力がありません。プロフェッショナルな行動制限は必要ないのです。若い医者たちの「ライフスタイルの選択」という美辞麗句に飾られ、社会の計算とでも呼べることが起きています。それはマーケットの力の価値を高め、医者を賃金労働者とみなし、癒しの関係性を求める社会のニーズよりも優先しているのです。このような変化すべてがプロフェッショナリズムを損なっています。

 

 最近の医療現場では心当たりがあります。まるで、今の日本の医療を指摘されているようで、本当にもう、穴があったら入りたいです。

 

 ヘルスケアの商品化 *1 が普及し、医者はテクノロジーを愛し、患者さんとの癒しの関係性を捨ててきたことが、このような危機的事態の原因だ、と鋭く指摘しています。

 

 どんな最新の検査や治療があったとしても、さらにもっと医療技術が高くなったとしても、それを追求していくことは、所詮、医療のコモディティ化にすぎない、という整理の仕方はあるでしょう。

 

 もう少し引用しておきます。(下線はぼく)

 医者はかつてに比べ「相対的に奪われている」と感じています。昔はいろいろな人が診療のやり方に口を出さなかったからです。今日の医療は違います。医者のなかには学校に戻ってMBAを取得する者もいます。残念ながら、これは雪だるま式に増えていくものです。今の医者はビジネスと市場のツールを使って考えているからです。このような連鎖が続き、医療のコモディティ化は促進されていったのです。文化的、そして社会的権威を回復するためには、医者は癒し手でなければなりません。ビジネスマンであってはならないのです。このような考え方の変化は残念ながら広く受け入れられていないのです。

 

 ビジネスマンになっていないか。癒し手としての役割を忘れていないか。

 うーん。心して、日々の臨床に取り組みたいと思います。

 

 紹介した本の原著はこちら。

Integrating Narrative Medicine and Evidence-based Medicine

Integrating Narrative Medicine and Evidence-based Medicine

 

 

 その日本語訳です。岩田健太郎さんが翻訳しています。

ナラティブとエビデンスの間 -括弧付きの、立ち現れる、条件次第の、文脈依存的な医療

ナラティブとエビデンスの間 -括弧付きの、立ち現れる、条件次第の、文脈依存的な医療

 

 

 著者が指摘するように、癒しについては科学的知見が不足しており、もっと深く知る必要があるでしょう。

 ひとまずBernard Lownさんの著書でも読んでみたいと思います。

 

つづく 

そして癒し手は誰もいなくなった - 地域医療日誌

*1:commodification of healthcare

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