地域医療日誌

新しい医療のカタチ、考えます

視覚や聴覚で受けとめられない何か

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 先日発行された 2021年2月号の編集後記 / 地域医療ジャーナル に、こんなことを書きました。

原始的な感覚の世界から視覚・聴覚のみの世界へ

 

 ぼくたちが、人と直接対面してコミュニケーションするとき、いろいろな感覚を使います。(感覚器が正常に機能している場合)原始的な感覚には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚・温痛覚のような表在感覚などがあるでしょう。これらの感覚器を総動員して、相手から情報収集しながらやりとりをしています。


 それでは、直接対面せず、何らかの媒体を通してコミュニケーションするときは、どうでしょうか。

 

 本やネットの文章などのテキストには視覚情報を使います。テレビや動画などの映像には、視覚情報に加えて音声などの聴覚情報を使います。

 このように、媒体を通じたコミュニケーションでは、視覚と聴覚に偏重した情報のやりとりになっていることに気づきます。

 オンライン会議など、人と直接対面せずデジタル情報でやりとりするようになり、その傾向はさらに加速しているように思います。

 例えば、体温は直接触れることによってとらえることもできますが、体温計で計測することによって視覚情報に変換してとらえています。各種計測器やセンサーは、可視化することによって視覚情報に変換して人に伝えています。

 他人の痛みはもはやとらえることはできず、痛みスケールによって視覚情報に変換するしかありません。

 原始的な感覚を通してとらえられた現象を人に伝えたり共有するためには、今のところ視覚・聴覚情報として表現するしかないようです。

 表現するとき、どんな情報が減衰されていくのか。意識しながら現象に向き合っていきたいと思います。

 

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 情報の受け取り方が、視覚と聴覚に偏重していること、それが無意識のうちに行われてしまっていること、について指摘しました。

 唐突な編集後記だったかもしれませんが、現象をとらえることについて考えていたところ、思い当たったことです。

 目に映っていること、耳に聞こえてくること、それだけでは現象をうまくとらえられないでしょう。視覚・聴覚だけに依存しすぎることには、欠点や弊害があるかもしれません。

 

 若松英輔さんのエッセイ 悲しみの秘義 (文春文庫) の一節「模写などできない」の中に、こんなエピソードが紹介されています。

 ヨハネス・イッテン(1888-1967)というスイスの画家が、ある授業で生徒たちに模写をおしえようとしていたときのこと。

 グリューネヴァルトの描いた「嘆きのマグダラのマリア」という絵を写すようにと言ったところ、学生たちはすかさず絵筆をとったそうです。その姿を見たイッテンは、こう語ったそうです。

すぐに模写を始める前に、やることがあるでしょう。まずこの絵を見て、涙を流して、とても模写などできない、というのでなければ芸術家とはいえない。

 

 正当な裁きを受けることなく十字架に磔にされたイエスの姿と、その横に跪きながら、悲しみ、うめく「マグダラのマリア」の姿を生々しく描き出した絵です。

 表現されているのは悲嘆する女性の像ではなく、悲しみそのもの。悲しみは目に映らなくても心でなら受け止めることができるはずだ、と。

 著者の若松さんは、このエピソードを通して、こう続けます。

読むとは、記された文字を解釈することではなく、文字を通じて、その奥にある意味の深みを感じる営みになった。書くとは、未知の他者に言葉を届けることになった。言語とは、コトバの一つの姿に過ぎないと感じるようになった

 

 さらに「コトバ」についての解釈が書かれています。

哲学者の井筒俊彦(1914-1993)は晩年、「言葉」とだけでなく「コトバ」と記するようになった。コトバと書くことによって彼は、文字のかなたに息づいている豊穣な意味のうごめきを浮かび上がらせようとした。井筒が考えるコトバには無数の姿がある。画家にとっては色と線が、音楽家には旋律が、彫刻家には形が、宗教者には沈黙が最も雄弁なコトバになる。苦しむ友人のそばで黙って寄り添う、こうした沈黙の行為もまた、コトバである。


 ぼくがしばしば言葉と使い分けている「コトバ」は、現象を表出したもの、という意味で使っています。これとほぼ同義ではないかと感じます。

 コトバ。言葉で伝えられないこと。視覚や聴覚で受けとめられない何か。

 そのヒントが隠れている文章です。さらに深く探究していきたいと思います。

 

悲しみの秘義 (文春文庫)

悲しみの秘義 (文春文庫)

  • 作者:若松 英輔
  • 発売日: 2019/12/05
  • メディア: Kindle版
 

 

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