新年ということで
早いもので、あっという間に12月は過ぎていき、2014年になりました。
つつしんで新年のごあいさつを申し上げます。
お忙しい中、勝手気ままに記録しているこのブログにお越しいただき、ありがとうございます。
今年もなんとか続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
ショウペンハウエル
年明け早々、ドイツの哲学者ショウペンハウエルを読んでいろいろ考えさせられています。

- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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書き古された表現かもしれませんが、1800年代の著作とはとても思えないほど、現代においても示唆に富み、説得力があります。「読書について」というよりも、物を書くということはどういうことか、その真摯な姿勢については学ぶところがあります。
ぜひご一読を。
ブログを更新するために
「思索」から。ひっかかるところ満載です。
読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。
最近では、読書それも多読をすすめる風潮が目立つなか、それを戒めています。ベストセラーを含め、お金を稼ぐ目的の悪書にほとんど埋めつくされてしまっているからだ、という論調になっています。
出版業界が生き残りをかけて、次々に発表されていく新刊書。そして1年で消えていく。1800年代にもすでにこのような現象があったことがわかります。歴史は繰り返しているようです。
「著作と文体」から引用します。
著者が原稿用紙をうずめるために執筆を開始すれば、それだけでただちに完全に読者をあざむくことになる。
報酬と著作権侵害禁止の二つは文学を破滅させる基である。
これは出版業界だけではなく、ブログ記事についてもいえることかもしれません。
- 更新することや、アクセス数を増やすことが目的となっていないかどうか。
- 思索の足跡がたどれるようなものになっているかどうか。
- 訪問者にとって読む価値があるものになっているかどうか。
昨年末には、旧ブログの目次づくりをしました。これまでどんな記事を書いてきたのか、ざっとふりかえることはできました。
経験したことや、調べたことを経験することも、ただそれを調べてまとめることも、あまり考えたことにはなっていないのでしょう。
匿名について
さらに「著作と文体」では、匿名での著作に手厳しい批判を行なっています。「不肖この私め」が作成している当ブログの立ち位置も、いずれまたゆっくりと(反論など)考えてみたいと思います。
思索の足跡(抜け殻)として残していけるものになるかどうか。いま一度、著作のあり方をふりかえって考えてみたいと思います。