まとまりのない散文です。
奉仕や労働のこととか、臨床家の姿勢とか、昔の経験とか、いろいろ考えているうちに時間が過ぎてしまいました。まとまりのないままに、上げておきます。
奉仕の精神
秋になると、医療機関は急に忙しくなります。ひとたび突入すると、春まで繁忙期はつづきます。もちろん、医療者の余裕はなくなり、笑顔は消えていきます。
患者さんのために尽くしなさいとか、患者さんにしっかり向き合いなさいとか、そんな言葉が安易に語られがちです。
これはあくまでも思考実験ですが、奉仕の精神で働きましょう、というのであれば、究極的には不眠不休さらには無給で働きましょう、ということになります。
つまり、自分のために使える時間や労力やお金を放棄し、それを患者さんのために使いましょう、ということになります。
しかし、そのようなことは誰にもできないわけですから、あくまでもこれは理想的な思想であり、相対的な思想といえるでしょう。人のためにやるという言葉には、濃淡があるということです。
濃淡があるということは、線引きもむずかしくなります。どこからが患者さんのために尽くしていないといえるのか、その基準に明確な線引きはできません。
おのずと主観的な判断にならざるを得ないでしょう。
情報の奉仕
ところで、時間や労力やお金ならまだわかりやすいのかもしれません。ここがすっきりしないところなのですが、ぼくがひっかかっているのは、それでは情報はいいのだろうか、ということです。
患者さんに向き合うための情報
日々仕事をしながらつき当たる疑問。これをひとつひとつ解決しながら臨床決断できるのが理想です。しかし、普段そのような時間はありません。時間だけではなく労力もなかったりします。
患者さんの治療方針について、ひとつひとつの疑問に丁寧に向き合い、世界のあらゆる情報源を網羅し、ベストの選択肢を提示したい。そう思いながらも、いまだに実現できていません。EBM発祥から20年以上経過し、技術革新やリソースの共有化が進んだ現在においても、そのような体制は整っていないのです。
人の手は限界
日々生じる疑問に対して最新の情報源で答える、そのようなことが人の手で実践できる情報量ではなくなってきました。
もう専門家が人の手(ハンドメイド)で作成した情報源では、それが紙であろうとデジタルであろうと、追いつかなくなっています。
今のままのやり方は、もう限界でしょう。
ハンドメイドからデジタルへ
そのうち、情報源についても人から機械に取って代わるようになるでしょう。
「この病気に対するこの薬の治療効果と害はどうだったっけ?」
医師がスマートフォンに質問すると、人工知能は世界中の情報源を検索し、最新の情報をただちに返信してくれる。そんなシステムが実現するのは、おそらくもうすぐでしょう。
とても便利で、患者さんに向き合った医療ができるようになります。いずれ、ハンドメイド情報源時代の医療のやり方は通用しなくなるかもしれません。
医療もどんどん進化していきます。デジタル化した社会の先はどうなっていくのか、医療にはどんな未来が待っているのか。おそろしくも興味深くもあります。
この本を解読しながら、未来を考えてみたいものです。

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂
- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: PLANETS/第二次惑星開発委員会
- 発売日: 2018/06/15
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