離れてみてわかること
ブログからちょっと離れてみました。気まぐれです。書き続けてわかることもたくさんありますが、離れてみてわかることもあります。
追いたてられない日常の余裕。新しいことに取り組んだり、考える余白もできました。
何かに追われるように、情報を発信しないと落ち着かなくなるような感覚*1は、時間とともになくなっていきました。鈍くなっていったというのか、「まあいいか」と感じられるようになったというか。
情報は何のためにもならなかった
いくら情報を発信しても、何のためになるのかわからない。そんなことは自覚してはいました。情報はそれほどたくさん要らなかったのかもしれません。
強いて言えば、自分のためにはなっていたかな。それでよかったのでしょう。
そして、うすうす気づいたこと。役に立とうとはじめたことで、本当に役に立てることは少ないんじゃないか、ということです。
誰かの役に立つかもしれない、という動機が少しでもあったことを、今では少し後悔しています。
誰かのためにという弊害
役立つとか、有益とか、正しいとか、そういったものからいったん離れたい。その先には、道がつながっていないような気がします。いやむしろ、弊害があるかもしれません。
コトバや文脈から、さらには情報や組織や構造からも脱却したい。
このあたりのことを言語化しようと挑戦して十年。そろそろどこかにまとめたいとも思っています。
ただひたすら毎日やり続ける。黙々とやるべきことをやる。
役に立たないことでもいい。広く目を向けて生きる。そんな向き合い方で、仕事していきたいと思っています。
まだまだ、これから。
*1:罪悪感のような感じだったかもしれません。