Yahoo! ニュースから
ちょっと心が動かされてツイッターでもつぶやいたのですが、ここにまとめておきます。発端となったのはこちらの記事。
“補聴器の使用が認知症の進行を75%遅らせる、英研究(The Telegraph) - Yahoo!ニュース” https://t.co/NwLK0vzB5h
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
#元論文
元論文を調べてみました。おそらくこの2論文です。
#元論文 / “Longitudinal Relationship Between Hearing Aid Use and Cognitive Function in Older Americans. - PubMed - NC…” https://t.co/hVucGgGKnz
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
#元論文 / “Cataract surgery and age-related cognitive decline: A 13-year follow-up of the English Longitudinal Study …” https://t.co/7ZjcFVOrjK
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
横断研究のようですから因果関係はわかりませんし、確定的なことは言えない研究デザインです。このネットニュース記事の見出しのように、決定的なことがわかったとは言えず(つまり見出しは「盛りすぎ」で不適切)、結論を急ぐことはできません。
ただ、興味深い仮説は提示されたと思います。
すなわち、感覚器官の衰えが認知機能の低下につながる可能性です。
現象をとらえる力が衰えるとコトバに変換する認知機能は低下しそうだ。
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
うーん、たしかに。まあ、聴力低下が「感覚器官の廃用」ととらえると理解しやすいわけですね。この仮説、なかなかよさそうな気がします。
SENSE-Cog
論文をたどると、EUのプロジェクトが動いていました。
“SENSE-Cog: Promoting health for eyes, ears and mind” https://t.co/q9Z8k2mWml
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
プロジェクトの成果に期待したいです。フォローしたいと思います。
聴覚が変える
これまで、音楽が医療を変えるかもしれない、というテーマで考えてきましたが、もう少し広い視点でとらえたほうがよいかもしれません。つまり、
音楽が、というよりも、聴覚が変えるんだ。
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
音が聞こえないこと、聞きづらいことの不自由さといったら、たいへんなことだと思います。音楽も楽しめない。情報も入ってこない。会話もままならない。
ちょうど、認知症高齢者がヘッドホンで音楽を聴いたときの、楽しげな表情を思い出しました。
もちろん、昔よく聞いた音楽のなつかしさにほほ笑んだ、という解釈をしていました。確かにそうかもしれません(実際には本人に確認できませんから)が、もしそうでなかったとしたら・・・。
なつかしい音楽を聞いた時の笑顔の一部が、聞こえたことのよろこびだったとしたら…
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
聴覚は、今後さらに新しい補聴技術で回復する可能性もあるのではないでしょうか。
もし、聴力低下を聴覚機能の廃用ととらえるのなら、リハビリで回復する筋力のように、聴力を回復できる可能性もあるのではないか。
少なくとも廃用の部分なら回復できる可能性があるのでは?
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
音楽配信サービス、骨伝導デバイスなど補聴技術との融合か。
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
これからの技術に期待したいところです。同時に、何かやれることないだろうか、という気分が高まりました。
認知機能はコトバを介する評価
長谷川式やMMSEなど、代表的な認知機能評価は、コトバで評価をしています。コトバで評価するということは、感覚器官が正常であることが前提となっていますから、正確な認知機能を反映していない可能性があります。
つまり、感覚器官の機能が低下していたら、本人の現象をコトバで的確にとらえることができないのではないか、ということです。
コトバで評価する認知機能は、代用のアウトカムだ。
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
そこに限界があるような気がします。
認知症や高齢者の何を問題にしたいのか?
それでは、認知機能のアウトカム(治療指標)、いや、認知症の改善すべきアウトカムって一体何でしょうか?
ちゃんと話せることでしょうか?
話せること、認知機能テストで正解すること、をアウトカムにすると、話したくない人、テストを受けたくない人の評価も、適正にはできないことになります。
これまで、テストを拒否してきた高齢者のことを思い出します。
認知症のアウトカム、いや、認知症高齢者の幸せって、話せることじゃない。
話せることよりも、話したくない人は話さなくてもいい生活、を評価できたほうが、幸せのアウトカムに近づく。
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
したいことができる自由、したくないことはしなくてもいい自由、それが高齢者の幸せなのかもしれません。
したいことができる自由
認知症高齢者に音楽を聴かせよう、聴覚を改善しよう、そんなことは余計なおせっかいなのかもしれません。
音楽を聞きたい人には聞ける自由を、聞きたくない人には聞かなくていい自由を。
— 地域医療日誌 (@bycomet) 2018年10月16日
医療でやってきたこと、それと同じ道をたどるつもりはありません。
音楽を聞きたい人は、こんなにいろいろな方法があります。そして、ききたくない人には押しつけません。どっちでもいいし、自由でいいんです。
これからの将来に向けて、ぼくらが間違えた道を目指さないよう、気をつけていきたいと思います。
そして、この課題については、さらに考えていきたいと思います。