地域医療日誌

新しい医療のカタチ、考えます

したくないことはしなくていい自由

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Yahoo! ニュースから

 ちょっと心が動かされてツイッターでもつぶやいたのですが、ここにまとめておきます。発端となったのはこちらの記事。

#元論文 

 元論文を調べてみました。おそらくこの2論文です。

 

 横断研究のようですから因果関係はわかりませんし、確定的なことは言えない研究デザインです。このネットニュース記事の見出しのように、決定的なことがわかったとは言えず(つまり見出しは「盛りすぎ」で不適切)、結論を急ぐことはできません。

 ただ、興味深い仮説は提示されたと思います。

 すなわち、感覚器官の衰えが認知機能の低下につながる可能性です。

 

 うーん、たしかに。まあ、聴力低下が「感覚器官の廃用」ととらえると理解しやすいわけですね。この仮説、なかなかよさそうな気がします。

SENSE-Cog

 論文をたどると、EUのプロジェクトが動いていました。

 

 プロジェクトの成果に期待したいです。フォローしたいと思います。

 

聴覚が変える

 これまで、音楽が医療を変えるかもしれない、というテーマで考えてきましたが、もう少し広い視点でとらえたほうがよいかもしれません。つまり、

 

 音が聞こえないこと、聞きづらいことの不自由さといったら、たいへんなことだと思います。音楽も楽しめない。情報も入ってこない。会話もままならない。

 ちょうど、認知症高齢者がヘッドホンで音楽を聴いたときの、楽しげな表情を思い出しました。

 もちろん、昔よく聞いた音楽のなつかしさにほほ笑んだ、という解釈をしていました。確かにそうかもしれません(実際には本人に確認できませんから)が、もしそうでなかったとしたら・・・。

 

 聴覚は、今後さらに新しい補聴技術で回復する可能性もあるのではないでしょうか。

 もし、聴力低下を聴覚機能の廃用ととらえるのなら、リハビリで回復する筋力のように、聴力を回復できる可能性もあるのではないか。

 

 これからの技術に期待したいところです。同時に、何かやれることないだろうか、という気分が高まりました。

 

認知機能はコトバを介する評価 

 長谷川式やMMSEなど、代表的な認知機能評価は、コトバで評価をしています。コトバで評価するということは、感覚器官が正常であることが前提となっていますから、正確な認知機能を反映していない可能性があります。

 つまり、感覚器官の機能が低下していたら、本人の現象をコトバで的確にとらえることができないのではないか、ということです。

 

 そこに限界があるような気がします。

 

認知症や高齢者の何を問題にしたいのか?

 それでは、認知機能のアウトカム(治療指標)、いや、認知症の改善すべきアウトカムって一体何でしょうか?

 ちゃんと話せることでしょうか?

 話せること、認知機能テストで正解すること、をアウトカムにすると、話したくない人、テストを受けたくない人の評価も、適正にはできないことになります。

 これまで、テストを拒否してきた高齢者のことを思い出します。

 認知症のアウトカム、いや、認知症高齢者の幸せって、話せることじゃない。

 

 したいことができる自由したくないことはしなくてもいい自由、それが高齢者の幸せなのかもしれません。

 

したいことができる自由 

 認知症高齢者に音楽を聴かせよう、聴覚を改善しよう、そんなことは余計なおせっかいなのかもしれません。

 

 医療でやってきたこと、それと同じ道をたどるつもりはありません。

 音楽を聞きたい人は、こんなにいろいろな方法があります。そして、ききたくない人には押しつけません。どっちでもいいし、自由でいいんです。

 これからの将来に向けて、ぼくらが間違えた道を目指さないよう、気をつけていきたいと思います。

 そして、この課題については、さらに考えていきたいと思います。

 

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