なぜか自転車修理の話から
ちょっと前の話です。ある日、自転車のタイヤの空気が急に抜けたため、自転車を購入した販売店へ持って行きました。おそらくタイヤのパンクだと思ったのです。
販売の傍らで整備もする量販店ですから、忙しそうで対応もやや冷ややかな印象。見てもらうにも少し時間がかかりました。
ところが、タイヤはパンクしておらず、バルブのゴム劣化が原因でした。ゴムを交換してもらって解決しました。
修理してもらってまもなく、またタイヤの空気が抜けていました。今度こそパンクだろうと思い、同じ販売店へ持って行きました。
ところが、同じバルブのゴム劣化が原因。両輪のゴムを交換してもらい、帰りました。
もうこれで大丈夫だろう、と思っていたのですが、しばらくして、またもタイヤの空気が抜けていたのです。あまりにも頻回で、駐輪場でイタズラでもされているのか、と思ったほど。
さすがに何度も同じ販売店へ行きづらくなり、古くからやっている近所の商店街の自転車屋さんへ持ち込みました。年輩の職人気質、話しかけにくい雰囲気でしたが、話してみるととても気さくな方でした。
自転車を一見して「このゴムのバルブはだめなんだよね、金属のバルブに変えればいいよ。」
すぐに作業は終わりました。それ以降、トラブルはまったくありません。
医療に例えると同じこと
バルブを交換すればいいだけ、ということがすぐにわかることが職人の知識や技術、ということになるでしょうか。
販売店ではそれがわかっていなかったのか、わかっていてもやれない事情があるのか、客としてははかりかねるのですが、いずれにしても適切な対応ではなかったことになるでしょう。
これを医療に例えると、どういうことなのか。似たようなことが起きているように思います。
家庭医はコンビニではない
旧ブログ *1の過去記事を読み返しています。その中で、家庭医はコンビニではなく靴屋だ、という記事がありました。一部を引用します。
家庭医は商店街の靴屋に似ている
これを医療に例えると、どうなるでしょうか。 いつでも、全国一律で、質の高いサービスを提供しようとする、量販店チェーンやコンビニのモデルは臓器別専門医と重なります。そして、家庭医はまさしく、町の商店街の靴屋ではないでしょうか。 いつでも(救急医療)、どんな問題でも(専門医療)というわけにはいきませんが、お客様に合った治療は提供できると思います。家庭医として、そんな町の商店街の小さな靴屋を目指したい。そう思います。
家庭医はコンビニではない - 地域医療日誌 by COMET
同じことを感じています。ぼくらが提供すべきサービスは何か。
小さくても古くてもいい。こだわりをもった、街の商店街の靴屋さんや自転車屋さんのような機能が、やはり医療にも必要だろう、と。
そしてもちろん、それには知識や経験がいる。熟練の職人に必要なこと、それはきっと日々の積み重ねでしょう。
臨床医としても、まだまだこれから。こだわりをもって、日々がんばりたいと思います。
ブログふりかえり
過去のブログ記事を読み返すと、当時はこんなこと考えていたのか、と鮮やかに記憶が蘇ります。そして、ふりかえることもできます。
研修制度や専門医制度が多方面で議論されていた時期、家庭医についてのつぶやきのような記事がいくつもありました。
家庭医のアイデンティティに関して、そしてその後の展開や理想と現実のギャップについて、思うところは多々あります。
この機会に、このあたりも少し掘り返してみようと思っています。うまく書けるかわかりませんが。
*1:このブログの前身はこちら。 地域医療日誌 by COMET