地域医療日誌

新しい医療のカタチ、考えます

そして癒し手は誰もいなくなった

 癒し手としての医者 - 地域医療日誌 につづきます。

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忙しさと癒しの両立

 今年のゴールデンウイークは連休がとれ、少し仕事から離れてお休みできています。

 診療所では感染症や花粉症が終わる春から秋にかけては忙しさが一段落することが多いのですが、今年はなぜか一向に忙しいままでした。これからどうなっていくのか、一抹の不安があります。

 

 癒し手としての医者 *1 をひとつの課題とするならば、忙しさはちょっとした敵です。

 忙しい中でも癒しを与えることができればいいのですが、ぼくにはまだその能力や自信はありません。医者としては半人前、ということでしょう。

 修練していきたいと思います。

 

産業構造の変化と医療

 さて、ぼくの拙いブログ記事に言及していただけることはとても少ないのですが、先日の記事でわっとさんからいただきました。ありがとうございます~!!

 記事はこちら。

www.watto.nagoya

 貴重な機会ですので、少し触れてみたいと思います。

 医療現場で経験していることが、他のあらゆる業種に共通する現象なのではないか、という貴重なご指摘です。一部引用させていただきます。

「なるほど医療現場のお医者さんは、そういう悩みに直面しているのか」と思う一方で、医師に供給される薬剤は、はるか昔から外部リソース化と高度なテクノロジー化が進行していたのでは、という感想も抱きました。薬研〔やげん〕で自ら漢方薬材(薬剤ではない)をガリガリやるお医者さんなんて、今どきどこにもいませんよね。

そして、こういう現象は、産業の高度化につれて、あらゆる業種で起きた事象なのではないかと思い当たったので、自分のエントリーにしてみようと考えた次第です。

医療現場の医師に限らず我々の仕事はみなサプライチェーンやバリューチェーンのエンドポイントではないかという話 - しいたげられたしいたけ

 

 こうした現象は最近起こっていることではなく、産業の高度化と相関があるのではないか、と。なるほど。

 サプライチェーン、バリューチェーンとは、ぼくにとっては馴染みのない用語ですが、経営学や工学においても、商品や完成品として末端の消費者に届くまでには長い経路を辿る産業構造となっており、医療もその潮流には逆らえない、ということでしょうか。

 医療現場にも多様な業種が関わっており、まさしくそのような構造が日々動いているということは実感できることです。

bycomet さんの元記事には、医者のなかに学校に戻ってMBAを取得する者が増えていることを残念がる書籍の文章が引用されていました。原著に当たっていないので速断かもしれませんが、これは決して嘆くべきことではないように思います。かつて一国一城の主だった親方たちが供給連鎖網に組み込まれていったような産業構造の変化に対する知見を、医療の現場にも応用してもらえるのであれば、患者の側としてもありがたいことです。

思いつきだけど、制度の側から、そういう産業構造の変化が医療現場にも押し寄せているというこをとアピールする働きかけがあってもいいんじゃないかという気もしてきた。ニュースアンカーが報道に果たす役割が巨大である以上に、医療サービスアンカーである医師が患者にできることは巨大なのだから。まさしく bycomet さんのおっしゃる「癒し手」として。

医療現場の医師に限らず我々の仕事はみなサプライチェーンやバリューチェーンのエンドポイントではないかという話 - しいたげられたしいたけ

 

 なるほど、そうですか。

「産業構造の変化が医療現場にも押し寄せているということをアピールする働きかけがあってもいい」ということは、さらにこうした動きを進化させるほうがいい、というご意見と読みました。

 医療分野も近代の産業構造に合わせて変化すべきである、こうした働きかけをもっと行なったほうがいい、というご意見はおそらく世の中の大多数であろうと思っています。それはごもっともなご意見だと思います。医療現場もまだまだ前近代的な部分が色濃く残っています。

 そして、この動きがジャンルを飛び越えて共通している、ということであれば、他業種からもっと学ぶこともあるでしょう。

 ぼくもずっとそのように思っていました。

 

医療の産業化で行き着くところ

 ところが先日ご紹介した本では、そのような大きな動きに対する危機感、という文脈となっています。

 つまり、近代の産業構造のように多業種が連携して効率よくサービスを提供し、安定した医療の供給体制を築いていくことこそが、癒し手としての役割を放棄することになる、と警告しています。

 

 サラリーマンというたとえが象徴的だったのですが、業務外の仕事や勤務時間外の仕事はしないほうが楽ですし、むしろリスクマネージメントの観点からすべきでない場合もあるでしょう。

 薬のことは製薬企業や薬剤師に任せておけばいい、専門外のことは専門医に任せておけばいい、時間外のことは当直医に任せておけばいい、心配ごとがあったら看護師やケアマネージャーに相談すればいい。

 医者は自分の仕事を淡々とこなし、定時退社すればいい。

 そうやって医療が分業化されていった結果、そして誰も癒し手がいなくなったのではないか、という鋭い指摘です。

 医療現場はある一面、現実になりつつあります。

 

 こうしたことが、近代の産業構造の医療への応用だとすれば、ちょっと危ういように思います。

 癒し手としての役割を果たしていきたい。それには医療者はどうすればよいのか? 医者はどうすればよいのか? 医療をどう変えていけばいいのか? もう少し考えてみたいと思います。

 

 

 ぼくが発行責任者をしているウェブマガジン「地域医療ジャーナル」では、この秋に企画特集「医療は人を癒せるのか?」を行う予定です。

 読者投稿企画も予定しています。

cmj.publishers.fm

 興味がある方は、ぜひともご購読ください。

 

 今回もまたこちらの本を取り上げています。あわせてどうぞ。

ナラティブとエビデンスの間 -括弧付きの、立ち現れる、条件次第の、文脈依存的な医療

ナラティブとエビデンスの間 -括弧付きの、立ち現れる、条件次第の、文脈依存的な医療

 

つづく

冷酷なエビデンス、あたたかな癒し手 - 地域医療日誌

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